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万葉集 梅花の歌 三十二首 序文

蘭は珮後の香を薫らす

梅は鏡前の粉を披き

気淑く風和らぎ

初春の令月にして

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Atelier







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最新情報information 2020/02/14

奈良県立万葉文化館で開催中の万葉コレクション展にて、大亦観風の掛け軸(書、画)2点が展示されております。

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初春の 令月にして

万葉を描いた画家 - 大亦観風

万葉を描いた画家 - 大亦観風

1894年(明治27年)和歌山市生まれ。郷里で洋画を学び、画家を志して上京後、太平洋画会研究所、日本美術院洋画部で学ぶ。その後日本画に転向。寺崎広業、小室翠雲に師事。洋画で培った写実主義描写力を基礎に、新南画の影響を受け、明るい色彩の穏やかな独自の画風に到達する。
歌人でもあり、アララギ派小泉千樫に師事。『万葉集』に造詣の深い日本画家。

又、書もよくし、書・画一体の作品『万葉集画撰』1940年(昭和15年)で注目され、同年の「皇紀2600年の奉祝」で橿原神宮に奉納された。
画家としての最盛期に戦争が重なり、戦後の混乱期の1947年(昭和22年)に53才で病没。

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気淑く風和ぎ 気淑く風和ぎ

アトリエりざんと大亦観風

アトリエりざんと大亦観風1917年(大正6年)和歌山広瀬舟場丁の自宅の庭にて。
妹孝枝と。

大亦観風という日本画家、アララギ派歌人、孫として生まれた私は、幼い頃から祖父の話を聞いて育ちました。

家庭で常に「観風先生」と語られる祖父は、1894年(明治27年)生まれ。人生の最盛期に戦争が重なりました。
当時の日本の国民全てがそうだったように、祖父も芸術家として存分に活動する事ができない、制約の多い時代を生きていました。

ですが、現代の私が驚嘆するほどに深く学び、多くの作品を残し、必死で生きていたのです。その足跡を残してあげたい、と思っています。

アトリエりざんと大亦観風

戦後の混乱期に埋もれてしまった観風の画業をなんとか掘り起こそうと、両親は諦めずに活動を続けてきました。

次第に人と人がつながり出し、次第に観風はその姿を表し始めます。その後、次第に芸術的価値を認められるようになり、和歌山県立近代美術館、奈良県立万葉文化館に作品が収められ、「大亦観風」の名前で展覧会を開いていただくこともできるようになりました。

そして、死後何十年もたった今、
「令和」の元号が、日本の国書、しかも『万葉集』という歌集から出典したことが大きな話題になりました。
『万葉集』に描かれた、美しい日本と日本人の心を、受け継いでいきたい、という想いの元、アトリエりざんは多くの作品をお届けします。

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梅は鏡前の 粉を披き

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